更新日:2025年1月17日
讃良氷室
讃良氷室は平安中期の法典である延喜式にある10ヶ所の氷室の一つであり、生駒山地北部に位置する。奈良時代の養老の年号をもつ平城宮出土木簡に「更浦氷所」の文字が使われていたものがあり同一の氷室と考えられている。延喜式には讃良に氷室が二室設けられているとありこれは飯盛山付近で、一室が室池(大阪府四条畷市)、もう一室が龍間(大阪市大東市)と考えられている。古代の氷室に関しては極めて資料が少ないが、龍間は明治時代には自然氷の製造がおこなわれ、氷作りには適した地域と考えられる。
室池
室池は、 江戸期まで氷室池と呼ばれていた。むろいけは古池、中ヶ池、砂溜池、新池の四池からなり18.7ヘクタール、現在は周辺の森と合わせて大阪府民の森「むろいけの森」として野外リクレェーション施設に活用されている。四池のうち新池は安政5年(西暦1858年)に、古池、中ヶ池、砂溜池は奈良時代に作られたと推定されている。四條畷郷土史カルタ句に「室池の氷たくわえ京ゆき」とあるが、古代の氷室に関する資料は見つかっていない。
龍間
奈良、平安期の氷室に関しての資料は無いが、明治期に標高270mの竜間山間の精冷水を利用して天然氷を作り、夏季に人夫を使って角の堂浜へ出して舟運で、或いは牛車を利して大阪へ運び出していた。大東市史によれば冬の寒冷期を利用して山間部に設けられた製氷所へ用水して氷結させる。これを一枚氷と呼び、その上に再び水を入れて凍らせて二枚氷となし、これを繰り返して三枚氷・四枚氷と次第に積み重ねて五枚氷にすれば、現在の機械氷の七寸程の厚さとなる。これを二尺角に切り取り、氷貯蔵所に貯える。氷貯蔵所は高木家所有文書には「六間×四間角の建物の中に、三間×三間の貯蔵庫を作っている。この貯蔵庫の下は板張りにして排水をよくし、上にはオガクズを置いて断熱し、隙間には細氷を入れて貯蔵する」とある。村社 龍間神社には昭和五年奉納の天然氷記念の石燈籠があり、昭和五年頃まで天然氷に携わっていたと考えられる。古代の氷室と比較すると断熱材が茅萩からオガクズに代わり、貯蔵所が屋内に代わり断熱性が向上しているが基本は同じと考えられる。
龍間神社
本社 天忍穂耳命
末社 大日孁貴神(天照大神)
天児屋根
中筒男命
龍間神社と天然氷室記念灯篭